事例性と疾病性 〜産業医と主治医の見立ての違い〜

2026.07.19
コラム

同じ社員について、判断が食い違うのはなぜか

一人の社員について、主治医は「症状は落ち着いている、復職可能」と言い、産業医は「まだ働ける状態ではない」と言う。会社からすると、医師同士で言うことが違う、どちらを信じればいいのか、と戸惑う場面があります。

これは、どちらかが間違っているわけではありません。多くの場合、同じ社員を別の角度から見ているために起こります。その角度の違いを説明するのが、産業保健で使われる「疾病性」と「事例性」という2つの言葉です。

この2つを理解しておくと、主治医と産業医の役割の違いが見えてきますし、会社として、メンタル不調や体調不良の社員にどう向き合えばいいかの筋道も立てやすくなります。この記事では、この2つの考え方を、具体例を交えて整理します。

疾病性とは:「病気そのもの」を見る視点

疾病性とは、ごく簡単に言えば、病気があるかどうか、あるとすれば何の病気で、どのくらいの重さかという、医学的な側面のことです。

診断名、症状、検査の結果など、これらはすべて疾病性に関わります。うつ病なのか適応障害なのか、不眠はあるか、食欲はどうか、症状はどの程度か。こうした医学的な評価が疾病性です。

疾病性を主に診るのは、主治医(臨床医)です。患者を診察し、診断をつけ、治療を行う。症状を軽くし、病気を治すことが目的です。

事例性とは:「職場で起きていること」を見る視点

一方、事例性とは、職場で現実に問題が起きているかどうかという側面です。

たとえば、遅刻や欠勤が増えている。ミスが目立つようになった。締め切りに間に合わない。同僚とのトラブルが起きている。任せていた仕事が回らなくなっている。こうした、職場で実際に観察できる問題が事例性です。

事例性には、病名は必要ありません。診断がついていなくても、職場で問題が起きていれば事例性は高い、と判断します。逆に、本人に何らかの病気があり通院していても、仕事に支障が出ていなければ事例性は低いといえます。

この事例性を主に見るのが、産業医です。産業医は診断や治療をする立場ではなく、職場で起きている事実をもとに、この社員はいま働ける状態にあるか、を判断します。

疾病性と事例性は、必ずしも一致しない

ここが、この2つの考え方の要点です。疾病性と事例性には、しばしばずれが生じます。

例1:疾病性はあるが、事例性は低い

ある社員が不眠を抱えているとします。夜よく眠れず、平日は睡眠不足が続いている。これは医学的には症状があり、疾病性がある状態です。

しかし、本人は週末に休息重視で過ごすなどして何とか体調を保ち、仕事は通常どおりこなせている。遅刻もミスもなく、業務に明らかな支障は出ていない。これが、疾病性はあるが、事例性は低いというケースです。

この場合、本人が治療を受けながら働き続けることは十分に可能です。会社として特別な対応を急ぐ必要はなく、本人の意向を尊重しつつ、必要に応じて通院に際しての配慮を行う、という対応になります。

例2:疾病性は低いが、事例性は高い

逆のケースもあります。主治医から「症状は軽減しているので復職可能」という診断書が出た。医学的には、症状は落ち着いている。つまり疾病性は低い状態です。

ところが、復職に向けた産業医面談で業務遂行能力を確認したり、試し出勤(リハビリ出勤)を行わせたりしてみると、集中力が続かない、判断ができない、すぐに疲れてしまい、本来の業務をこなせそうにない。職場では明らかに問題が生じると予測される。この場合、疾病性は低い(とされている)のに、事例性は高いという状態です。

このようなとき、産業医は「復職はまだ難しい」と判断することがあります。診断書では復職可能でも、職場で働ける状態にないなら、事例性の観点から復職を見送る、という判断です。主治医と産業医で結論が違って見えるのは、こうした場面です。

主治医は、診察室での本人の様子と訴えをもとに判断します。職場で実際にどう働けているかは、基本的に見えません。一方、産業医は職場での状態を見て(または職場での情報を聴取して)判断します。この情報の違いが、判断の違いを生むのです。

私自身、クリニックで診断書を書く主治医の立場と、企業でそれを受け取る産業医の立場の両方を経験していますが、診察室で見える回復と、職場で毎日働き続けられる回復との間には、実感としてかなりの開きがあります。

事例性を起点に、対応が分かれる

会社の実務で大切なのは、問題はまず事例性として表に出てくるということです。

社員に何か起きているとき、会社が最初に気づくのは、たいてい病気そのものではありません。遅刻が増えた、ミスが続く、様子がおかしい、という職場での変化、つまり事例性です。

そして、その事例性の裏に疾病性があるかどうかで、その後の対応が分かれます。

疾病性がない・乏しい場合 → 教育・指導で対応する

職場で問題が起きていても、その背景に病気が見当たらない場合があります。単に仕事の進め方が分かっていない、優先順位のつけ方が身についていない、勤怠の意識が低い、といったケースです。

この場合は、医療の問題ではなく、教育や指導の領域です。上司による指導、業務の教え直し、勤怠についての注意など、マネジメントとして対応します。ここで早々に医療の問題として扱ってしまうと、本来必要な指導がなされないまま問題が長引くことがあります。

疾病性が疑われる場合 → 医療管理のレールに乗せる

職場での問題の背景に、病気が疑われる場合もあります。明らかに様子がおかしい、急に仕事ができなくなった、表情が乏しい、体調不良を訴えている、といったサインです。

この場合は、教育や指導で対応できる問題ではありません。医療管理のレールに乗せること、つまり受診を勧め、必要な治療や休養につなげることが必要です。

ここで会社が果たすべきなのが、安全配慮義務(労働契約法第5条)です。病気が疑われる社員を、指導だけで何とかしようと無理に働かせ続ければ、状態の悪化を招きかねません。疾病性が疑われるなら、医療につなぐ。これが、社員を守り、同時に会社を守る対応になります。

この、職場の事実(事例性)を手がかりに、疾病性の有無を見極め、教育・指導で対応するのか、医療につなぐのかを判断する。この交通整理こそ、産業医が関わる場面で力を発揮するところです。産業医は、職場の事実(事例性)と医学的な見立て(疾病性)の両方を踏まえて、どちらのレールに乗せるべきかを助言できます。

臨床医と産業医、それぞれの立場

ここまでをまとめると、臨床医(主治医)と産業医は、次のように役割が分かれます。

臨床医(主治医)産業医
主に見るもの疾病性(病気・症状)事例性(職場での問題)
情報源診察室での本人の訴え・所見職場の事実、勤怠、業務状況
立場患者本人を支援企業と個人の間に立つ
行うこと診断・治療就業可否の判断・助言(診断治療はしない)
ゴール病気を治す、症状を軽くする働ける状態を維持・回復する

大切なのは、この2つは対立するものではなく、補い合うものだということです。

主治医は、その人の病気を治す専門家です。職場の事情まで見るのは、そもそも役割ではありません。産業医は、職場で働けるかを判断する立場ですが、診断や治療はしません。両者は見ている角度も役割も違い、どちらが正しいという話ではありません。

社員の就労を支えるには、この両方が必要です。主治医が疾病性を診て治療し、産業医が事例性を見て就業を判断する。会社は、その両者から得た情報を踏まえて、最終的な人事上の判断を下す。この役割分担が機能してはじめて、社員の健康と就労の両方を守ることができます。

会社として、何をすればいいか

この2つの考え方を踏まえて、会社が意識しておきたいことを整理します。

事例性、つまり職場の事実を記録しておく。 遅刻・欠勤の状況、ミスの内容、業務の進み具合、周囲とのやり取りなど、職場で観察できる事実を具体的に記録します。これは、産業医や主治医に状況を伝える際の、有力な材料になります。「なんとなく様子がおかしい」ではなく、「いつ、どんな問題が、どのくらいの頻度で起きているか」を事実として残しておくことが、的確な判断につながります。

診断書(疾病性)だけで就業を判断しない。 特に復職の場面では、主治医の「復職可能」という診断書だけで判断せず、職場で本当に働ける状態か(事例性)を、産業医の意見も交えて確認します。

事例性の裏に疾病性が疑われたら、医療につなぐ。 職場での問題の背景に病気が疑われる場合は、指導で抱え込まず、受診を勧めて医療管理につなげます。これが安全配慮義務を果たす対応です。

関連: 復職の場面での具体的な判断の進め方は 復職判定はどう進める?主治医意見・産業医意見・職場側評価の3つの軸 を、診断名の読み解き方は 適応障害・うつ病・うつ状態は何が違う? よく聞くけれど混同しやすい言葉を、産業医・精神科医が整理します をご参照ください。

おわりに:2つの視点で、社員の就労を支える

疾病性と事例性。病気そのものを見る視点と、職場で起きていることを見る視点。この2つを区別して持っておくと、メンタル不調や体調不良の社員への対応が、ずっと整理しやすくなります。

主治医の判断と産業医の判断が違って見えても、それは矛盾ではなく、見ている角度の違いである。そう理解しておくだけで、診断書を前にしたときの戸惑いはかなり減ります。

この見極めは、社内だけで判断するには難しい場面があります。産業医や、メンタルヘルスに知見のある医師に相談できる体制があれば、事例性と疾病性の両面から、適切な対応を一緒に考えていくことができます。対応に迷う社員がいる場合は、ぜひ一度、精神科の知見を持つ産業医にご相談ください。


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合同会社こころデザイン研究所は、堺市を拠点に、堺市・大阪市・岸和田市・和泉市・高石市をはじめ大阪府下全域で産業医サービスを提供しています。代表は精神科専門医・精神保健指定医の資格を持つ産業医であり、標準的な産業医業務に加え、特にメンタルヘルス対応・休職復職支援を得意としています。

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監修・執筆者情報
竹村 有由

医師/精神科専門医/精神保健指定医/産業医。2008年より精神科医として臨床・研究経験を重ね、2016年より産業医活動を開始。2022年に合同会社こころデザイン研究所を設立。堺市・大阪市を中心に、産業医サービス、健診後対応、メンタルヘルス支援、休職・復職支援などに取り組んでいます。

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