50人未満でも産業医は必要?小規模事業場こそ知っておきたい、メンタルヘルスのリスクと相談先の選択肢

2026.04.12
コラム

「うちは従業員30人くらいだから、産業医は関係ない」

そう思っている経営者や総務担当の方は多いのではないでしょうか。確かに、労働安全衛生法上、産業医の選任が義務づけられるのは常時50人以上の労働者を使用する事業場です(労働安全衛生法第13条)。50人未満であれば、選任しなくても法律違反にはなりません。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてほしいことがあります。

日本で働く人の半数以上が、産業医のいない「50人未満の小規模事業場」で働いているということをご存じでしょうか。そして近年、精神障害による労災認定件数は過去最多を更新し続けています。小規模事業場こそ、メンタルヘルスの問題が見過ごされやすい空白地帯になっているのが実情です。

この記事では、50人未満の事業場が直面しているリスクを整理し、現実的に取りうる対策の選択肢を解説します。まずは実際の現場で多く起こる場面から見ていきます。

50人未満の事業場が「困る」5つの場面

実際の現場で「産業医がいればよかった」と感じる典型的な場面を、まず挙げてみます。

① 健診で「要治療」「要精密検査」の社員がいるが、対応がわからない

健診結果に異常所見が出た社員がいる。会社として何をすべきか。残業を制限すべきか。本人に受診を強制できるのか。こうした判断は、医学的な知見がなければ難しい。しかし、主治医は一般的な医学的判断は可能ですが、職場でどう対応するかの判断は難しい場合が多いです。

② メンタル不調の社員から「休みたい」と言われた

ある朝、社員から「体調が悪いのでしばらくお休みをいただきたい」とLINEが届いた。診断書には「適応障害」。休職の手続きは。休職中の連絡は。復職はどう判断すれば——経営者が判断を迫られます。

③ 社員が「復職したい」と言ってきたが、大丈夫なのか判断できない

主治医から「復職可能」の診断書が出た。でも、本当にうちの業務に耐えられるのか。どのような配慮が必要なのか。主治医の「復職可能」は、日常生活が送れるという意味であることが多く、会社の業務を十分に遂行できるという保証ではありません。この判断は、職場の業務内容を理解した上で行う必要があります。

④ 長時間労働が常態化しているが、面接指導を頼む先がない

月80時間を超える残業をしている社員がいる。面接指導が必要だとはわかっているが、どの医師に依頼すればいいのかわからない。

⑤ パワハラの訴えがあり、メンタル面の影響をどう判断すればいいかわからない

ハラスメントの訴えがあり、当事者がメンタル不調を訴えている。法的対応は弁護士や社労士に相談できるが、この社員のメンタルヘルスは大丈夫か、就業上の配慮が必要か、といった医学的判断は、医師でなければ行えません。


これらの場面に共通するのは、医学的な見立てや判断が必要だが、相談できる医師がいないという構造です。次に、なぜこの構造が放置されやすいのか、データで見ていきます。

小規模事業場こそ、メンタル対策の空白地帯

働く人の半数以上が「産業医のいない職場」にいる

総務省・経済産業省「令和3年経済センサス‐活動調査」によれば、全事業場の大半は50人未満の小規模事業場であり、50人未満の事業場で働く労働者は全体の半数以上を占めています。

出典: 総務省・経済産業省「令和3年経済センサス-活動調査 産業横断的集計」

つまり、産業医がいる職場で働いている人のほうが、実は少数派です。

そして、小規模事業場では産業医だけでなく、衛生管理者、衛生委員会、ストレスチェックといった法定のメンタルヘルス対策の仕組みも整っていないのが一般的です。メンタルヘルス対策の仕組みを持たない事業場が、日本の労働環境の大多数を占めているのが現状です。

ストレスチェック実施率の差——50人以上で84.7%、50人未満で32.3%

実際、厚生労働省の調査によれば、ストレスチェックを実施している事業場の割合は、50人以上の事業場で84.7%であるのに対し、50人未満の事業場では32.3%にとどまっています。

出典: 厚生労働省「令和5年 労働安全衛生調査(実態調査)」

50人以上の事業場ではストレスチェックが法的義務であるのに対し、50人未満では現時点では努力義務にとどまっているため、実施率に大きな差が生じています。

しかし、メンタルヘルスの問題そのものは事業場規模によって発生率が下がるわけではありません。むしろ、一人の社員がメンタル不調で休職した場合の組織への打撃は、小規模事業場のほうがより深刻になりがちです。仕組みで守られていないこととリスクが低いことは、まったく別の話です。

精神障害の労災認定は過去最多を更新し続けている

もう一つ、押さえておきたいデータがあります。

厚生労働省「過労死等の労災補償状況」によれば、仕事が原因で精神障害を発症したとして労災認定を受けた件数は、令和6年度に1,055件に達しました。これは統計開始以来初めて1,000件を超えた数字であり、過去最多を更新し続けています。労災請求件数(申請件数)も令和6年度で3,780件と過去最多です。

精神障害の労災認定の主な原因として最も多いのはパワーハラスメントで、次いで仕事量の大きな変化、カスタマーハラスメントと続きます。これらは、事業場の規模に関係なく、どの職場でも起こりうる問題です。むしろ、組織が小さく距離が近い小規模事業場のほうが、パワハラの境界線が曖昧になりやすく、問題が表面化しにくいという側面もあります。

出典: 厚生労働省「令和6年度『過労死等の労災補償状況』を公表します」(令和7年6月25日公表)

50人未満の事業場でも「義務」はゼロではない

50人未満の事業場には産業医の選任義務はありませんが、以下のような義務が存在します。

健康診断の実施と事後措置は全事業場に義務

定期健康診断の実施は、従業員が1人でもいれば事業者の義務です(労働安全衛生法第66条第1項)。そして、健康診断で異常所見が出た社員については、3ヶ月以内に医師の意見を聴取する義務があります(同法第66条の4、労働安全衛生規則第51条の2)。

この医師の意見聴取は、産業医がいない小規模事業場でも行わなければなりません。しかし実際には、誰にこの意見を聴けばいいのかで止まってしまい、健診結果を社員に渡すだけで終わっているケースが少なくありません。

長時間労働者の面接指導も規模を問わず義務

時間外・休日労働が月80時間を超えた労働者が申し出た場合、医師による面接指導を行う義務は、事業場の規模に関係なく発生します(労働安全衛生法第66条の8)。

安全配慮義務は企業規模と無関係

そして最も重要なのが、安全配慮義務です(労働契約法第5条)。「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をしなければならない」——この義務は、従業員が何人であっても適用されます。

社員がメンタルヘルス不調で休職し、後に「会社は十分な対策を取っていなかった」と主張された場合、安全配慮義務違反として損害賠償を請求されるリスクがあります。50人未満だから仕方ないという理由は、法的に通用しない場面があります。

ストレスチェックの義務化も拡大される——2028年頃に施行予定

さらに押さえておきたいのは、制度の方向性です。

2025年5月14日に改正労働安全衛生法が公布され、これまで努力義務だった50人未満の事業場に対するストレスチェック実施も義務化されることが決定しています。施行は公布から3年以内とされており、現時点の見通しでは2028年頃の施行が見込まれています。

出典: 「労働安全衛生法及び作業環境測定法の一部を改正する法律」(令和7年5月14日公布、令和7年法律第33号)

国が50人未満の事業場にまで対策範囲を広げようとしている背景には、ここまで見てきたデータがあります。働く人の半数以上がいる小規模事業場で、精神障害の労災認定が増え続けており、そこにメンタルヘルス対策の仕組みがほとんど存在しない。この空白を埋めなければ労働者全体の健康は守れない、という判断です。

義務化のタイミングで慌てるよりも、今のうちから相談できる医師との関係を築いておくほうが、スムーズな移行につながります。

参照条文: 労働安全衛生法第66条、第66条の4、第66条の8、労働契約法第5条

50人未満の事業場が使える選択肢

「でも、産業医と契約する余裕がない」——その感覚は当然です。しかし、選択肢は「産業医と契約するか、何もしないか」の二択ではありません。

選択肢① 地域産業保健センター(地さんぽ)を活用する

50人未満の事業場を対象に、医師による面接指導や健康相談を無料で提供している公的機関です。健診の事後措置や長時間労働者の面接指導にも対応しています。

コストをかけずに利用できる最初の一歩として、すべての小規模事業場がまず把握しておきたいリソースです。ただし、予約が取りにくい、対応する医師が毎回異なる、休職・復職の継続フォローには向かない、など、支援内容や利用回数に一定の制限があります。

参照: 独立行政法人 労働者健康安全機構「地域窓口(地域産業保健センター)」

選択肢② スポット(単発)で産業医に相談する

普段は契約を結ばず、必要が生じた時だけ産業医に依頼する形態です。「復職判定をしてほしい」「健診の事後措置について意見がほしい」など、ピンポイントで専門家の判断が必要な場面に向いています。

月額の固定費がかからないため、今すぐフルの産業医契約は難しいが、いざという時に頼れる先は確保しておきたい、という段階の事業場に合った選択肢です。

選択肢③ オンラインでの医療相談対応

訪問なし、チャット・メール・Web会議だけで相談できるサービスもあります。ちょっとした疑問をすぐ聞きたい、事が大きくなる前に方向性だけ確認したい、というニーズに対して、月額コストを抑えながら、いつでも聞ける専門家を確保できます。

選択肢④ 低コストの顧問契約

会社の規模や対応範囲を絞ることで、月額数万円程度から顧問契約を結べるサービスも増えています。訪問頻度を隔月にする、面談はオンライン中心にするなど、事業場の実情に合わせた柔軟な契約が可能になってきています。

小規模事業場で産業医を導入するメリットと、現実的な始め方

メリット① 「迷ったら聞ける先」がある安心感

判断に迷った時に、医学的な根拠に基づいて一緒に考えてくれる相手がいるだけで、経営者・総務人事担当者の心理的な負担は大幅に軽くなります。

メリット② 初動が早くなる

メンタルヘルスの問題は初動の速さで展開が変わります。「様子がおかしい」と思った際、すぐに電話やチャットで相談できる体制があれば、休職を未然に防いだり、問題の芽を早期に摘んだりすることができます。50人未満の事業場では、一人の長期休職が業務全体に与える影響が甚大です。予防と早期対応に投資する意味は、大企業以上に大きいと言えます。

メリット③ 対応の記録が「会社を守る盾」になる

産業医に相談し、その助言に基づいて対応した、という記録は、万が一の労災申請や損害賠償請求の場面で、会社として適切な対応を行っていたことの証拠になります。

前述の通り、精神障害の労災認定は年々増加しており、これは事業場の規模と無関係に発生しうるリスクです。産業医への相談はコストではなく、将来のリスクに対する保険として捉えるほうが実態に即しています。

メリット④ 採用力が上がる

「当社は50人未満ですが、産業医と連携してメンタルヘルスケア体制を整えています」——この一文を求人票に載せられることの意味は、年々大きくなっています。特にIT系人材や若手世代は、心身の健康に対する企業の姿勢を就職先選びの判断材料にしています。

まずは小さく始めるという考え方

ここまで読んで、うちにも何か対策が必要なのはわかったが、いきなり本格的な産業医契約は難しい、と感じた方もいるかもしれません。

その感覚は自然です。大切なのは、完璧な体制を一気に構築することではなく、今、一番困っていることに対して、まず一歩を踏み出すことです。

たとえば、こんな始め方があります。

  • 健診後の事後措置だけ、スポットで医師に意見を聴く
  • メンタル不調の社員が出た時に、対応の方向性を相談する
  • 復職判定だけ、精神科の知見を持つ医師に依頼する
  • 月1回のオンライン相談で、日常のちょっとした迷いを解消する

必要な時に必要な分だけの利用から始めて、事業場の成長に合わせて体制を拡充していく。それが、小規模事業場にとって現実的で、コストパフォーマンスの良いアプローチです。

まとめ

ポイント内容
選任義務50人未満の事業場には産業医の選任義務はない
日本の労働環境働く人の半数以上が50人未満の事業場で働いている
メンタルヘルスの現実精神障害の労災認定は令和6年度に1,055件と過去最多
小規模事業場の現状ストレスチェック実施率は32.3%にとどまる
規模を問わない義務健診事後措置・長時間労働面接・安全配慮義務は全事業場に適用
今後の動きストレスチェックの義務拡大(2028年頃に施行予定)
使える選択肢地さんぽ、スポット契約、オンライン相談、低コスト顧問契約

日本の労働環境の大半を占める小規模事業場で、メンタルヘルス対策の仕組みがほとんど整備されていない——これが現在の空白地帯です。国もこの空白を埋めるべく法改正を進めていますが、義務化を待つまでもなく、リスクは今この瞬間も存在しています。

義務がない今のうちに備えておくことが、結果的にコストの低い、そして効果の高い選択になるはずです。

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医師/精神科専門医/精神保健指定医/産業医。2008年より精神科医として臨床・研究経験を重ね、2016年より産業医活動を開始。2022年に合同会社こころデザイン研究所を設立。堺市・大阪市を中心に、産業医サービス、健診後対応、メンタルヘルス支援、休職・復職支援などに取り組んでいます。

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