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管理職が部下を厳しく叱責した。翌月、その部下がメンタルヘルス不調で休職した。
こうした場面に直面したとき、あの指導はパワハラだったのか、会社として責任を問われるのか、そのような問いが浮かび上がります。
パワハラの問題を難しくしているのは、行為者本人にパワハラの自覚がないケースが大半だという点です。自分は仕事に厳しいだけだ、本人のために言っている。管理職としては自然な感覚かもしれません。
2020年6月に施行されたパワハラ防止法(労働施策総合推進法の改正。中小企業は2022年4月から義務化)により、事業主にはパワハラ防止のための措置を講じる義務があります。方針の明確化と周知、相談窓口の設置、事案が起きたときの迅速な対応など、企業規模に関係なく適用されます。
さらに、2025年6月公布の改正労働施策総合推進法により、2026年10月1日からはカスタマーハラスメント(カスハラ)対策も全事業主に義務化されます。
このコラムでは、パワハラと指導の境界線をどう考えるか、会社として何を整えておくべきかを、法律と精神医学の両面から解説します。
パワハラの定義は、労働施策総合推進法第30条の2(雇用管理上の措置等)に規定されています。次の3つをすべて満たすものがパワハラです。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| ① 優越的関係を背景とした言動 | 上司から部下が典型。先輩・後輩、専門知識による優位など、抵抗や拒絶が困難な関係 |
| ② 業務上必要かつ相当な範囲を超える | 指導の手段や程度が、社会通念上相当と認められる範囲を超えている |
| ③ 就業環境が害される | 身体的・精神的な苦痛を与え、能力の発揮に大きな支障が生じる |
3要素のうち、現場で判断に迷うのはほとんどが②です。業務上必要かつ相当な範囲はどこまでか。次の節で考えていきます。
厚生労働省が示すパワーハラスメントの6類型は、身体的な攻撃、精神的な攻撃、人間関係からの切り離し、過大な要求、過小な要求、個の侵害です。このうち身体的な攻撃(殴る、物を投げるなど)は第三者から見ても分かりやすく、パワハラと判断しやすいです。境界が曖昧になりやすいのは、それ以外の類型、特に精神的な攻撃です。
実務では、次の基準で整理すると考えやすくなります。
本人の成長のために厳しく言った。この目的自体は正当ですが、パワハラの判断は、目的が正当かどうかでは決まりません。目的が正当でも、手段がふさわしくなければパワハラになりえます。
業務上のミスを指摘すること自体は正当な指導です。ただ、同じ指摘でも、他の社員の前で大声で叱責する、人格を否定する言葉を使う、長時間にわたって繰り返す、といった手段の問題があれば、指導の範囲を超えます。指導の必要性は認めつつ、そのやり方が社会通念上の範囲を逸脱しているとして会社側の責任が認められた裁判例もあります。
一度の厳しい注意が、それだけでパワハラになるわけではありません。ただ、同じ相手への叱責が繰り返される場合は注意が必要です。
精神医学的に見ると、繰り返されるストレスが心身に与える影響は、単発のストレスとは質が異なります。一回の激しい叱責は、ショックではあっても回復は比較的早いことが多いです。しかし、毎日のように小さな否定が続くと、本人の自己効力感(自分はやれるという感覚)が少しずつ削られ、適応障害やうつ状態に至るリスクが高まります。周囲からは「あの程度の指導で?」と見える言動でも、繰り返されることで健康への影響が積み重なっていきます。
パワハラかどうかは受け手が決める、という言い方をされることがありますが、これは正確ではありません。
受け手の感じ方は判断の要素の一つです。厚生労働省の指針(令和2年厚生労働省告示第5号)では、平均的な労働者の感じ方を基準とすることが適当とされています。受け止め方には個人差があるため、通常の範囲の指導まで一律にパワハラと認定されるわけではありません。
気をつけておきたいのは、平均的な労働者の基準は時代とともに変わる点です。20年前なら許されていた指導方法が、今日の基準ではふさわしくないと判断されることは十分あります。昔はこのくらい普通だった、という感覚は、法的にも社会的にも通用しにくくなっています。
ここからは、少し視点を変えます。
私は精神科医として診療を続けながら、産業医として職場の相談にも対応しています。その立場から見ると、特定の言動がパワハラに該当するかどうか、という境界線の議論よりも先に考えたい問題があります。
明らかなパワハラ(暴力、人格を否定する暴言、退職の強要など)の場合は、対応に迷いにくいです。客観的にも問題だと誰もが認識でき、行為者への対応と本人のケアに着手できるからです。
対応が難しいのはいわゆるグレーゾーンです。パワハラとまでは言えないが、日常的にきつい言い方をする。指導という名目で、特定の部下にだけ明らかに厳しい。こういったケースです。
本人は、日常的につらさを感じていますが、周囲がパワハラと認識していない状況では、声を上げにくい。ストレスが積み重なり、やがてメンタルヘルス不調として表面化します。
私自身、診察室では、上司の言動がハラスメントに当たるのか判断がつかないまま、不眠やうつがひどくなり来院される方に多く出会います。パワハラだと確信して来られる方より、こうした微妙な状態で不調をきたしている方のほうが、むしろ多い印象です。
パワハラの定義に当てはまるかどうかにかかわらず、人の健康を損なう職場環境は改善されるべきです。パワハラか否かだけを問題にするのではなく、この職場環境は人の健康を損なっていないか、という広い視点で捉えるほうが実態に合っています。
パワハラを行う方を個人の資質の問題とみなすのは簡単ですが、それでは再発は防げません。
多くの場合、パワハラをする上司・管理職自身が、過剰な業績プレッシャーや、厳しさこそ育成という旧来の組織文化の中に置かれています。自分がそうした指導を受けて育ってきたため、他のやり方を知らない。マネジメントを学ぶ機会がなかった。それだけのことも珍しくありません。
小規模事業場では特に、現場のベテランがそのまま管理職になり、部下の指導方法を学ぶ機会がないままだったというケースがよく見られます。この場合に必要なのは処分というより、マネジメント教育です。
明らかに悪質な行為には厳正な対処が必要ですが、グレーゾーンの問題には、人ではなく構造・仕組みに働きかけるほうが、組織全体の健全化につながります。
グレーゾーンには、逆の方向もあります。客観的には業務上必要な範囲の指示や指導であっても、受けた側がパワハラと受け止め、会社に訴えるケースです。ハラスメントという言葉が広く知られるようになったことの裏返しでもあり、とくに若手の従業員からこうした相談が寄せられる場面は、近年増えている印象です。
先に述べたとおり、パワハラの認定は受け手の感じ方だけでは決まりません。業務上必要な指示や注意を、相当な方法と程度で行うことは正当な指導であり、パワハラには当たりません。この原則は、指導する側を守る基準でもあります。
このとき会社が避けたいのは、両極端の対応です。一つは、若い世代は打たれ弱い、と訴え自体を取り合わないこと。もう一つは、訴えがあった時点で管理職を事実上の行為者として扱ってしまうことです。どちらも、事実を確かめる前に結論を出している点で共通しています。
対応の基本は、客観的な情報を集めてから判断することです。
これらを聴き取り、記録に残した上で、先ほどの3要素、特に②業務上必要かつ相当な範囲を超えているかに照らして、冷静に評価します。結論を急がないこと。それ自体が、双方への公平さを保つ手順です。
調査の結果、パワハラに該当しないと判断した場合でも、相談したこと自体を理由とする不利益な取扱いは禁止されています(労働施策総合推進法第30条の2第2項)。結論とその理由を本人に丁寧に説明し、相談してよかったと思える扱いを保つことが、職場の相談のしやすさにつながります。
精神科医として付け加えると、通常の指導を強い攻撃と受け止めている背景に、本人の不調が隠れていることがあります。睡眠不足や抑うつ状態では、物事を被害的・悲観的に受け止めやすくなります。診察室でも、上司の一言が頭から離れず眠れない、という訴えの奥に、業務負荷の積み重なりや体調の崩れが見つかることは珍しくありません。パワハラか否かの判断とは別に、本人の体調や業務量を確認し、必要なら産業医面談や受診につなぐ視点を持っておくと、問題の背景に早くたどり着けます。
もう一つ注意したいのは、指導する側への影響です。こうした訴えが続くと、管理職が必要な指導までためらうようになることがあります。指導の萎縮は、若手の成長機会を減らし、組織にとっても本人にとっても不利益です。指導する側は、感情的にならず、人格ではなく行動と事実に焦点を当てて伝える。訴えは決めつけずに聴き、判断は情報が揃ってから下す。この両方を保つことが、指導が指導としてきちんとはたらく職場につながります。
パワハラ防止法に基づき、中小企業を含むすべての事業主に義務づけられている措置について整理します。
パワハラを許容しないという方針を、就業規則や社内規程で明文化し、全社員に周知します。法律上の義務であると同時に、うちの会社はこういう基準で運営している、というメッセージを共有する意味があります。
方針には、パワハラの定義、具体的な行為の例、行為者への処分内容を含めるのが望ましいとされています。厚生労働省のWebサイト「あかるい職場応援団」に、中小企業向けの規程例やひな型が公開されています。
相談窓口を設け、社員に周知する義務があります。窓口は社内でも社外でも構いません。ただ、小規模事業場で社内に窓口を置くと、相談したら会社中に知れ渡るのではないかという不安から、利用されにくいのが実情です。
現実的には、外部の相談窓口(EAP、弁護士、社労士など)の活用が有効です。社内窓口を置く場合でも、担当者にプライバシー保護の研修を行い、相談しても不利益を受けないと明確に保証しておく必要があります。
相談や申告があったら、事実関係を速やかに確認し、被害を受けた社員への配慮と、行為者への処分・再発防止策を講じます。
小規模事業所で起こりがちなのは、当事者同士の話し合いで解決させようとするパターンです。パワハラは優越的な関係を背景にしている以上、当事者間の対等な話し合いは難しいことが多いです。そのため、会社として事実関係を調べ、判断を下す手順が必要です。
事実認定が難しい場合や法的な判断を要する場合は、弁護士や社労士など外部の専門家への相談をお勧めします。
パワハラとメンタルヘルスの関係で、知っておきたいもう一つのテーマが、精神障害の労災認定基準です。
厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」では、2020年の改正でパワーハラスメントが独立した出来事の項目として位置づけられました。同年6月のパワハラ防止法施行に合わせた改正です。2023年9月には認定基準全体が改正され、パワハラ6類型すべての具体例が明記されたほか、後述するカスタマーハラスメントも評価の対象に加わっています。
認定基準では、心理的負荷の強度を「強」「中」「弱」の3段階で評価します。パワハラに関する出来事では、行為の内容・頻度・継続期間に加えて、職場の対応状況も評価に含まれます。
知っておきたいのは、会社の対応が不十分だった場合に心理的負荷が加重される点です。相談窓口が機能していなかった、相談したのに対処されなかった、といった事後対応の不備が、労災認定の判断に影響します。
精神障害の労災は増加が続いており、令和6年度の支給決定件数は1,055件と、統計開始以来初めて1,000件を超えました。パワハラ防止体制の整備は、訴えられないための守りにとどまらず、万が一のときに、会社として適切に対応した記録を残す意味もあります。
参照:厚生労働省「心理的負荷による精神障害の労災認定基準を改正しました」
関連: 労災申請があった場合の具体的な対応方法は 「労災申請したい」と言われたら——メンタルヘルス不調の労災認定基準と会社側の対応 で解説予定です。
パワハラ防止と並行して、もう一つ大きな改正が目前です。
2025年6月11日公布の改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号)により、2026年10月1日から、カスタマーハラスメント対策が全事業主の雇用管理上の措置義務となります。
改正法は、職場におけるカスハラを次の3要素で定義しています。
正当な苦情や要望など、社会通念上許容される範囲の申し入れはカスハラに該当しません。対面だけでなく、電話やSNSを通じた言動も対象です。
事業主に義務づけられるのは、おおむねパワハラ防止措置と同じ枠組みです。
施行まで残り3か月を切りました。これから着手する場合は、既存のパワハラ防止規程にカスハラへの対応を追加する形が現実的です。
対面業務のある業種(医療、介護、小売、飲食、サービス業)では、カスハラは身近な問題です。まずは方針の明文化と相談先の周知から手をつけ、施行日までに最低限の体制を整えることをお勧めします。
最後に、小規模事業場に特有の事情に触れておきます。
大企業なら、ハラスメントが起きた場合に、被害を受けた社員の配置転換や、行為者との物理的な距離の確保が比較的容易です。一方、10〜30人規模の事業場では、毎日同じ空間で顔を合わせる状況を変えることが難しい。
経営者自身の言動が問題になるケースもあります。この場合、社内に相談できる相手がおらず、問題が長いあいだ表面化しにくいです。小規模事業所においては、大企業以上に、外部の相談窓口の確保が重要となります。
もう一つ、小規模事業場で起きやすいのが、関係が近いからこそ行き過ぎるパターンです。家族的な雰囲気の職場で、上司が部下のプライベートに深く立ち入ったり、冗談のつもりで身体的な特徴を話題にしたりする。距離が近いぶん、これくらいは許されるという感覚が生まれやすく、ハラスメントの認識が緩みがちです。
距離の近さは小規模事業場の強みです。それが境界線の曖昧さに変わらないよう、最低限のルールと外部のチェック機能を持っておくことが、行き過ぎを早めに是正することにつながります。
整備状況の確認には、次の一覧をお使いください。
| 整備する項目 | 内容 | 法的な位置づけ |
|---|---|---|
| パワハラ防止の方針明確化 | 禁止方針の策定と全社員への周知 | 労働施策総合推進法第30条の2(義務化済み) |
| 相談窓口の設置 | 社内または社外の相談先 | 同法第30条の2第1項 |
| 事案発生時の対応体制 | 事実確認・被害を受けた社員への配慮・再発防止の手順 | 同法第30条の2第1項 |
| カスハラ対応の方針・体制 | 対応方針の明確化、一人で対応させない体制など | 改正労働施策総合推進法(2026年10月1日施行) |
| 管理職教育 | 指導とハラスメントの境界の理解 | 義務ではないが推奨 |
| 職場環境の定期的な確認 | 相談状況・職場の様子のモニタリング | 安全配慮義務の観点から推奨 |
ハラスメント対応は、規程を作って窓口を置けば完了、とはいきません。ハラスメントが起きにくい組織をつくり、起きたときに対応できる体制を保つことができるよう、少しずつブラッシュアップしていくことが重要です。
パワハラか否かの線引きにこだわりすぎると、グレーゾーンの問題が見えなくなります。法的な定義を正確に押さえた上で、この職場は人の健康を守れているか、という広い視点で職場を見直してみてください。
判断に迷うケースや、行為者・被害を受けた社員への対応で悩む場面では、ぜひ精神科の知見を持つ産業医や外部の専門家に相談してください。パワハラか否かの判断も、グレーゾーンの対応も、早めに整理し、順に対応していくことができます。
合同会社こころデザイン研究所は、堺市を拠点に、堺市・大阪市・岸和田市・和泉市・高石市をはじめ大阪府下全域で産業医サービスを提供しています。代表は精神科専門医・精神保健指定医の資格を持つ産業医であり、標準的な産業医業務に加え、特にメンタルヘルス対応・休職復職支援を得意としています。
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